子どもの頃に鑑賞した際、多くの観客は主人公の中学生たちに感情移入し、「横暴な大人たちをやっつける痛快な物語」としてカタルシスを味わいました。体罰を辞さない教師や、子どもの声に耳を貸さない親は絶対的な「悪」であり、そこからの脱出こそが正義に映ったはずです。
ところが、年齢を重ねて親や教育者、組織の一員という立場になって再鑑賞すると、物語の景色は180度変わります。生徒たちが仕掛ける過激な罠(高所からの落下トラップや火気の使用など)に対して、「一歩間違えれば大事故になる」「怪我人が出たら誰が責任を取るのか」という現実的な危機感が先に立ち、冷や汗を握る大人が続出しています。
さらに、劇中で右往左往する教師や親たちも、単なる悪人ではなく「社会のルールや世間体の重圧に押し潰されている弱者」であることが見えてきます。大人側の不器用さや管理に頼らざるを得ない切実さを知るからこそ、思春期特有の純粋さと無軌道さがより際立ち、単なる勧善懲悪を超えた切ない青春劇として胸に迫るのです。