詩の中で最も読者の好奇心を刺激し、印象に残るのが第2連から第3連にかけて登場する火星人の描写です。
「万有引力とは ひき合う孤独の力である」という一節の直前、火星人は「ネリリし キルルし ハララしている」と表現されます。この独創的なオノマトペ(擬態語)について、谷川俊太郎本人は過去の対談やエッセイで「深い理屈があったわけではなく、火星人の未知の生活行動を音の響きとして直感的に置いた」と述懐しています。しかし、文学的・心理学的な視点から精読すると、極めて緻密な構造が浮かび上がります。
地球上の人間が「眠り 起き そして働き」という日常の反復を生きているのと同様に、火星人もまた自分たち固有の生活(ネリリ・キルル・ハララ)を営んでいるに違いないという想定です。相手が何をしているか完全には理解できなくても、彼らもまた「時々 くしゃみをする」。この「くしゃみ」という生理現象の配置こそが詩の白眉です。
高等な精神活動や文化は異なっても、肉体を持った生身の存在として思わず出てしまう「くしゃみ」。二十億光年という想像を絶する虚無の広がりの中で、火星人と地球人の青年の肉体反応がシンクロニシティ(共鳴)を起こします。他者との完全な相互理解は不可能であっても、同じ宇宙の片隅で等しく孤独と生理的限界を抱えているという連帯感が、ユーモアと切なさを交えて提示されているのです。