紀元前57年の始祖・朴赫居世(パク・ヒョッコセ)の建国神話から数えて約1000年もの間続いた新羅は、なぜ最終的な崩壊を迎えたのか。その直接の引き金は、「骨品制の硬直化に伴う貴族の内紛」と「地方統制力の完全な崩壊」にありました。
8世紀後半以降、最高身分である真骨貴族たちの間で王位継承を巡る血みどろの権力闘争が日常化し、政治は著しく腐敗。中央政府の徴税官による過酷な取り立てに苦しんだ農民層は各地で大規模な暴動を起こしました。
9世紀末になると中央の統制が完全に失われ、地方で私兵を率いる有力豪族たちが自立。百済の復興を掲げた甄萱(キョンフォン)の「後百済」や、高句麗の後継を標榜した弓裔(クンイェ)の「後高句麗」が乱立し、半島は再び分裂する「後三国時代」へ突入します。
後高句麗の武将から台頭した王建(ワンゴン)が918年に「高麗(こうらい)」を建国すると、勢力均衡は一気に傾きました。四面楚歌に陥った新羅の最後の君主・第56代敬順王(キョンスンワン)は、民の流血を避けるため935年に高麗への降伏を決断。武力による殺戮ではなく、平和的な政権移譲という形で、古代国家・新羅はその長い歴史に静かに幕を下ろしました。