若き日の古尾谷雅人は、まさに時代の寵児だった。1980年の映画『ヒポクラテスたち』で日本アカデミー賞協会をはじめとする数々の映画賞新人賞を総なめにし、その後も『丑三つの村』における鬼気迫る狂気、東映作品や数多のサスペンスドラマで見せた重厚な存在感は、今なお語り草となっている。1990年代にはドラマ『金田一少年の事件簿』の剣持警部役でお茶の間に広く親しまれ、名実ともに日本映画界を代表する名バイプレイヤーとして君臨していた。
その背中を見て育った長男が、水原康介の名で芸能界に足を踏み入れたのはごく自然な流れに見えた。端正な顔立ちとどこか憂いを帯びた眼差しは父親の面影を強く宿しており、関係者の間でも将来を嘱望されていた。しかし、その血筋は彼にとって最大の武器であると同時に、逃れられない重い足枷でもあった。「古尾谷雅人の息子」という肩書は、新人俳優としての一挙手一投足に否応なく付きまとい、常に父親の圧倒的な実績と比較され続ける過酷な環境を強いられることとなった。