等伯にとって最大の好機となったのが、秀吉が若くして亡くなった愛児・鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲寺(現在の京都・智積院)の障壁画制作でした。狩野派の独占を崩し、長谷川派が総力を挙げて大事業を一手に引き受けることになったのです。
この大舞台で、等伯の長男である長谷川久蔵が驚異的な才能を開花させました。久蔵が描いた国宝『桜図』は、八重桜の花弁を胡粉で立体的に盛り上げ、春の爛漫な情景を華麗かつ幻想的に表現した不朽の傑作です。一方、等伯自身も絢爛豪華な金地を背景に力強い巨木を描いた国宝『楓図』を完成させ、長谷川派の黄金期を天下に知らしめました。
ところが、栄光の頂点は一転して深い絶望へと変わります。制作完了から間もない文禄2年(1593年)、弱冠26歳の久蔵が突如として謎の急死を遂げたのです。才能を恐れた何者かによる毒殺説まで飛び交うほどの衝撃的な早逝であり、等伯が受けた打撃は計り知れないものでした。跡継ぎを失った長谷川派の未来は暗転し、老境の絵師は孤独の淵へと突き落とされます。