舩坂弘は1920年(大正9年)、栃木県の上都賀郡(現在の西方町)の農家に生まれました。幼少期から卓越した運動能力を発揮し、大日本帝国陸軍に入隊後は第14師団歩兵第59連隊に配属。優れた射撃技術と銃剣術の腕前を買われ、陸軍憲兵学校の教官代理を務めるほどのエリート下士官へと成長します。
1944年、太平洋戦争の戦局が悪化するなか、舩坂は擲弾筒分隊長(階級は軍曹)としてパラオ諸島のアンガウル島へ派遣されました。同年9月17日、米軍第81歩兵師団約2万人が上陸を開始。これに対し、日本軍の守備隊は約1,200名余りという圧倒的な兵力差でした。補給も援軍も絶たれた孤島で、舩坂弘の常軌を逸した戦いが幕を開けます。
アンガウルの戦いにおいて、舩坂は得意の擲弾筒(小型の迫撃砲のような兵器)を駆使し、米兵を次々と撃破しました。陣地が壊滅的な打撃を受けるなかでも冷静沈着に敵を迎え撃ち、卓越した戦闘技術によって米軍の前進を幾度となく阻止。その戦いぶりは、周囲の日本兵だけでなく対峙する米軍指揮官たちをも驚嘆させました。