長らく日本最初の貨幣と信じられてきたこの銀銭・銅銭だが、1990年代末に飛鳥池遺跡から富本銭がまとまって出土したことで、その絶対的な地位は激しく揺らいだ。「最古」の座をめぐる議論は一時学界を二分したが、現在の貨幣経済史において両者の性格は明確に区別されている。富本銭がまじないや特定の儀礼、あるいはごく限定的な恩賞用としての色彩を色濃く残していたのに対し、国家が公的に価値を保証し、全国的な市場流通を企図して大量鋳造したシステムこそが和同開珎だった。
最新の研究が突き止めたのは、この通貨発行が決して自然発生的な市場の要請ではなかったという冷徹な事実だ。当時の朝廷が目指したのは、平城京造営という未曾有の国家プロジェクトに伴う莫大な人件費の支払い、そして何より唐をはじめとする東アジア諸国に対し「日本もまた貨幣を自給自足できる文明国である」と誇示する政治的デモンストレーションだった。経済政策というよりは、国家の威信をかけた巨大な制度設計だったのである。