出世魚が縁起の良い食べ物として重宝される背景には、日本の歴史における武士社会の階級制度と元服の儀式が深く関係しています。
江戸時代以前の日本では、武士や貴族の男子が幼名から大人の名前に改名する「元服(げんぷく)」を行い、さらに官職や手柄に応じて名前を変えていく慣習がありました。たとえば、徳川家康が幼名の「竹千代」から「松平元康」、そして「徳川家康」へと名を改め、最終的に天下人へと登りつめた過程はその典型例です。成長に伴って名前を次々に変え、やがて威風堂々たる大魚となるブリの生態は、武家の立身出世と重なり合い、吉兆のシンボルとして尊ばれました。
民俗学的な食文化の調査においても、日本列島には古くから「年取り魚(としとりざかな)」と呼ばれる正月のお祝い魚の東西境界線が存在します。
糸魚川・静岡構造線付近を境として、東日本では「鮭(サケ)」が年取り魚として好まれる一方、西日本では「ブリ」が絶対的な地位を占めてきました。富山湾の寒ブリを飛騨高山を経由して信州へ運んだ「鰤街道(ぶりかいどう)」の歴史や、福岡県などで正月の雑煮にブリの切り身を入れる「博多雑煮」の風習は、出世魚にあやかって一族の繁栄や無病息災を願う人々の強い信仰を物語っています。