明治維新後も、後藤象二郎のダイナミックな行動力は衰えませんでした。同郷の盟友である板垣退助らとともに明治政府の要職に就きますが、征韓論をめぐる対立(明治六年政変)で下野。その後は一転して反政府の旗手となり、自由民権運動の先頭に立ちました。
1874年には「民選議院設立建白書」を提出し、日本初の本格的政党である「愛国公党」や後の「自由党」の結成に深く関与。国会の開設と憲法制定を強く要求しました。その後、再び政府に復帰して逓信大臣や農商務大臣を歴任するなど、野党指導者と政府高官を行き来するスケールの大きな政治活動を展開しました。
また、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎とも親交が深く、土佐商会の経営や鉱山ビジネスなど実業の世界でも豪快なエピソードを残しています。まさに幕末から明治という巨大な時代のうねりを、持ち前の豪胆さと行動力で泳ぎ切った傑物でした。