高校時代、怪我や実力差の壁にぶつかりプロサッカー選手への夢を断念した柿澤勇人は、芸術鑑賞教室で観劇した劇団四季のミュージカル『ライオンキング』に衝撃を受け、舞台俳優への転身を決意します。しかし、この突然の進路変更に対して父親は猛烈に大反対しました。
「今まで何年間サッカーをやってきたと思っているんだ」「そんな甘い世界で通用するわけがない」と激怒した父に対し、柿澤勇人も一歩も引きませんでした。当時の特番インタビューや手記において、柿澤勇人自身が「勘当寸前の激しい口論になった」と振り返っています。長年息子のサッカー人生に伴走してきた父にとって、経験のない未知の芸能界へ飛び込むことは無謀な挫折の繰り返しに見えたためです。
妥協点として父親が突きつけたのは、「1年以内に劇団四季の研究所オーディションに受からなければ、二度と役者の夢は口にせず就職しろ」という極めて過酷な条件でした。柿澤勇人は都内の専門学校に通い、朝から深夜まで歌とクラシックバレエの猛特訓を重ねます。その結果、倍率数十倍と言われる難関をわずか1年の一発受験で見事突破しました。
合格後、劇団四季の研究所を経て初舞台に立った柿澤勇人の姿を観客席から見守った父親は、終演後に涙を流して息子の覚悟を認めたと伝えられています。反対から最大の理解者へと変わった瞬間であり、現在も父親は息子の出演舞台を熱心に観劇に訪れる関係が続いています。