1982年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから1位指名を受けてプロ入り。プロの世界でも背番号11を背負い、球団を代表する人気スターとして注目を集めました。入団当初はプロの壁にぶつかりながらも、徐々にローテーションの一角に定着。1986年には球宴ファン投票で圧倒的な得票数を集めて選出され、自己最多の8勝をマークするなど、ヤクルト投手陣の主力へと成長を遂げます。
ところが、キャリアの絶頂期に差し掛かった1988年、右肘に激痛が走り選手生命の危機に直面します。下された診断は側副靭帯の断裂。当時、日本人アスリートにとってはまだ未知の領域に近かったトミージョン手術(内側側副靭帯再建手術)を決断し、名医フランク・ジョーブ博士の手術を受けるため単身渡米しました。
そこから始まった日々は、暗闇の手探りでした。術後のリハビリ過程で生じた椎間板ヘルニア、さらには再手術という度重なる不運。1年、2年とグラウンドから姿を消す中、世間が徐々に「悲運の元アイドル投手」として忘れ去ろうとしていた1992年9月24日、奇跡の瞬間が訪れます。
神宮球場のマウンドに再び背番号11がコールされたのは、実に1541日(約4年2ヶ月)ぶりのことでした。割れんばかりの歓声と涙で迎えたファンが見守る中、リリーフとして登板しアウトを奪ったシーンは、日本プロ野球史に刻まれる屈指の名場面です。この復帰登板が起爆剤となり、野村克也監督率いるヤクルトスワローズは14年ぶりのセ・リーグ制覇を達成。荒木氏は翌1993年にも8勝を挙げ、日本一の立役者の一人として完全復活を果たしました。