事件の一報がロンドンに届くと、英国王ジョージ3世および本国議会は激怒した。本国指導層は即座にボストン港の封鎖を含む懲罰的な諸法案を可決。マサチューセッツの自律的な権限を剥奪し、軍政を敷く強硬手段に出た。対話や妥協ではなく、圧倒的な力による服従を選んだ瞬間である。
だが、この苛烈な報復措置は逆効果となった。それまで個別に動いていた各植民地に強い危機感が走り、連帯の絆が急速に補強されたのだ。対立は不可逆的な段階へと進み、1775年のレキシントン・コンコードの戦いを経て、時代はアメリカ独立戦争という未曽有の濁流へと呑み込まれていく。一夜の抗議行動が投げかけた波紋は、新国家誕生への導火線となった。