板東英二という存在の原点は、言うまでもなく白球を追ったグラウンドにある。徳島商時代、1958年の第40回全国高校野球選手権大会で記録した「大会通算83奪三振」は、日本野球機構(NPB)傘下のプロアマ球界を通じても、今なお誰にも破られていない不滅の金字塔だ。
鳴り物入りで中日ドラゴンズに入団すると、闘志あふれるピッチングで通算77勝をマーク。先発・リリーフを問わず腕を振り続け、チームを鼓舞した。しかし、酷使された右腕は悲鳴を上げ、現役引退を余儀なくされる。
多くの選手がプロ野球界の指導者や解説者の枠組みに留まるなか、彼は自らの口と度胸ひとつで芸能界という荒海へ舵を切った。自虐を交えたリアルな金銭トークや、選手時代の裏話を惜しげもなく披露するスタイルは当時としては前代未聞。野球界のレジェンドでありながら、プライドを脱ぎ捨てて笑いに変えるその姿勢が、新たな時代の扉を開くことになる。