二人の出会いは1970年代後半、売れない若手芸人たちがしのぎを削っていた浅草の演芸場時代にさかのぼる。幹子自身も当時は女子大生漫才トリオや漫才コンビとしてステージに立つ演者であり、同業者としての理解と共感が二人の距離を急接近させた。やがて居酒屋のバイトで食いつなぐ過酷な下積み生活が始まると、彼女は自身の収入でたけしの生活を全面的にバックアップ。まさに二人三脚の苦闘だった。
「ツービート」が爆発的な人気を獲得し、太田プロダクションに所属してテレビ業界の頂点へ駆け上がっていくプロセスにおいて、幹子の存在は不可欠だった。暴走しがちな鬼才の生活基盤を整え、スキャンダルや過激な発言で揺れる家庭を守り抜いたのは、他でもない彼女の強靭な腹括りがあったからこそだ。