1953年の本放送に先立つこと四半世紀以上、1926年の浜松高等工業学校の実験室で、ひとつの奇跡が起きていた。「テレビの父」と称される高柳健次郎が、ブラウン管上にカタカナの「イ」の字を電子ビームで結像させることに世界で初めて成功した瞬間だ。
機械式円盤を用いた映像伝送が主流だった欧米の趨勢に抗い、高柳は全電子式システムの可能性を信じて疑わなかった。戦前・戦中の混乱と物資不足を乗り越え、その執念が戦後の技術基盤を形作った。走査線四十数本の粗い光の文字から始まった挑戦がなければ、その後の黄金期は存在し得なかった。