事件の中心人物とみなされ、非命の死を遂げたのが幸徳秋水である。彼は日露戦争前夜、木下尚江らと共に平民社を設立し、週刊『平民新聞』を発刊した。非戦論と平民主義を掲げた同紙は、軍国主義に傾斜する日本社会で鮮烈な反響を呼び、国家権力にとって最大の脅威とみなされるようになった。
秋水のパートナーであった管野スガもまた、女性の解放と労働者の権利を訴えたジャーナリストであり、苛烈な弾圧下でも妥協を許さない言論活動を展開した。二人が目指したのは暴力による破壊ではなく、民衆の覚醒による不公正な社会構造の改革だった。しかし、国家は彼らの言論を「皇室の尊厳を脅かす危険思想」と決めつけ、精神的・物理的に抹殺する道を選んだ。彼らが残した筆跡や手記は、暗黒の時代にあっても屈しなかった思想の輝きを今に伝えている。