神戸連続児童殺傷事件において、加害者が当時14歳の中学生であったことから、少年法第61条に基づき、報道各社は実名や顔写真を伏せて「少年A」と報じる方針を採りました。しかし、その原則を破る形でメディアが顔写真の掲載に踏み切った転換点が過去に二度存在します。
最初の契機となったのは、1997年夏の『週刊新潮』および『FOCUS』による顔写真掲載です。逮捕直後、凶悪重大犯罪における国民の知る権利や事件の異常性を理由に、中学の卒業アルバムとみられる顔写真が誌面に掲載されました。これに対し日本弁護士連合会や法務省から強い抗議が行われ、出版差し止めや人権擁護をめぐる激しい法廷闘争へと発展。この報道が起点となり、顔写真のスキャン画像が黎明期のインターネット掲示板へと流出することになりました。
二度目の大きな節目は、手記出版後の2016年2月に報じられた『週刊文春』によるスクープです。手記『絶歌』の商業出版によって社会的批判が頂点に達する中、取材班は関東地方に潜伏していた元少年Aを追跡。直撃取材を試みた際の緊迫したやりとりとともに、精悍な体つきとなった成人後の全身写真および素顔の特徴を詳報しました。この報道によって、少年院退院後の「現在の姿」に対する関心が再びネット上で急増する結果となったのです。