昭和という時代、女性が社会でリーダーシップを取ることは容易ではなかった。結婚し、子供を持つ女性は家庭に入るのが当たり前とされた時代に、森はビジネスパーソンとしても先駆者であり続けた。
夫の理解と協力を得ながらも、彼女は常に自らが経営の舵を握った。パリのオートクチュール組合(サンディカ)にアジア人として初めて加盟を認められたのは1977年のこと。これは単なる個人の名誉ではなく、日本のファッション、ひいてはアジアのクリエイティビティが世界最高峰の舞台で対等に認められた歴史的瞬間だった。彼女は常に「私はただ、目の前にある仕事を一生懸命やってきただけ」と語っていたが、その一歩一歩が、後に続く女性たちの道を切り拓くスコップとなった。