幕末から明治維新の激変期、住友は最大の存亡の危機に直面した。幕府の保護を失い、別子銅山は産出量の低下と経営難に喘いでいた。この局面で孤軍奮闘し、近代鉱山への大改革を断行したのが初代総理人(最高経営責任者)を務めた広瀬宰平である。広瀬はフランス人技師ラロックを招へいして最新の西洋技術とインフラを導入し、巨額の借入金を恐れずに抜本的な機械化と近代化を成し遂げた。この大胆な決断がなければ、今日の姿は存在しなかったに違いない。
歴代の当主が襲名してきた「住友吉左衞門」の名跡は、事業の拡大とともにさらなる重みを増していく。特に15代吉左衞門(友純・号は春翠)は、近代住友の礎を固めただけでなく、優れた文化人・美術蒐集家としてその名を轟かせた。実業と文化を両輪とするこの当主の美意識は、一族の気風を単なる成金主義から隔絶された洗練の高みへと押し上げた。