当時の少年漫画を読んだ子どもたちにとって、オズマの最期と悲哀はトラウマ級の記憶として刻まれている。自らを「野球サイボーグ」と呼び、心の底では人間らしい温もりを渇望しながらも、勝利の道具として消費されていく姿。そこには救いようのない虚無感が漂っていた。
だが、そのトラウマこそが作品の奥行きを決定づけた。ただ勝って歓喜するスポーツ漫画とは一線を画し、勝利の代償として失われるものの大きさを容赦なく突きつけたからだ。オズマという存在は、現代の成果主義社会を生きる我々にとっても、決して他人事ではない重みを持っている。