仲代達矢の人生とキャリアを語る上で、妻・宮崎恭子さんの存在を切り離すことはできません。二人は俳優座養成所の同期生として出会い、1957年に結婚。当時、まだ無名で貧しかった仲代達矢の才能を誰よりも早く見抜き、家庭内でも劇団運営でも彼を全面的に支え続けたのが宮崎さんでした。彼女は女優として活動する傍ら、「隆巴」の筆名で脚本家・演出家としても卓越した手腕を発揮し、映画や舞台で数々の金字塔を打ち立てました。
しかし、運命は残酷な試練をもたらします。1995年秋、宮崎さんに末期の膵臓がんが発覚。医師から余命宣告を受ける中、仲代達矢は仕事を極力セーブし、文字通り付きっきりで看病を続けました。自著や当時の特番インタビューにおいて、彼は「女房が痛みに苦しむ姿を見るのが何より辛かった」「自分の命と引き換えにできるならどれほど良かったか」と、胸を締め付けられるような痛恨の思いを吐露しています。そして1996年6月、宮崎さんは65歳の若さでこの世を去りました。
死別の直後、仲代達矢は深い喪失感から一時的に心身のバランスを崩し、表舞台から姿を消すことすら危ぶまれました。それでも彼が生涯再婚を選ばなかった理由について、演劇関係者は次のように証言します。
「仲代さんにとって宮崎さんは、単なる配偶者を超えた人生の師であり、無二の戦友でした。二人の間に他人が入り込む余地など最初から1ミリもなかった。自宅の仏壇には今も毎日欠かさず手を合わせ、仕事の報告をしていると聞いています。彼にとって宮崎恭子という女性は、肉体が滅びてもなお魂の伴侶であり続けているのです」