オリンピックにおけるつり輪の歴史を語る上で、日本勢の残した足跡は外せません。体操つり輪歴代日本人メダリストの系譜は、1964年東京五輪で金メダルを獲得した早田卓次氏から本格的に幕を開けました。その後、1968年メキシコ五輪および1972年ミュンヘン五輪で2連覇を達成し「つり輪の王様」と世界から称えられた中山彰規氏、そして1984年ロサンゼルス五輪で個人総合と共に種目別でも頂点に立った具志堅幸司氏など、日本はつり輪において圧倒的な技術的優位を誇っていました。
当時の特番インタビューや自著・手記で語られた「つり輪の静止技は腕で支えるのではなく、背骨と腹筋の緊張で空間を固定する」という研ぎ澄まされた身体感覚は、現代の力学理論から見ても極めて先進的なものでした。
時代が移り変わり、世界のつり輪シーンは驚異的な筋量を誇るスペシャリスト(種目別専任選手)の台頭によって劇的な進化を遂げます。記憶に新しいパリオリンピック体操つり輪結果では、東京五輪王者の劉洋(リュウ・ヤン/中国)が15.300点という圧巻のスコアを叩き出し、見事に五輪2連覇を達成しました。
さらに銀メダルには同じく中国の鄒敬園(ゾウ・ジンユアン)が15.233点で続き、銅メダルにはリオ五輪金メダリストのギリシャの鉄人エレフテリオス・ペトロニアスが15.100点で食い込みました。まさに体操つり輪金メダリストの座を争う戦いは、0.01点を削り合う極限のミリ単位の領域へと突入しています。