紀元前223年、王翦と蒙武率いる秦軍の猛攻により、楚国の拠点城は次々と陥落。昌平君率いる楚軍は決死の抵抗を試みますが、圧倒的な兵力差と戦略の前に追い詰められていきます。
最期は蒙武の手によって討たれ、昌平君は戦場に散る(死亡する)ことになります。楚王・昌平君の戦死を知った項燕も自害し、大国・楚は完全に滅亡しました。秦の中華統一における最大最強の防壁が崩れ去った瞬間でした。
自らの誇りと祖国への義理を貫いて散った昌平君の壮絶な生き様は、秦の中華統一がいかに多くの血と犠牲の上に成り立っているかを象徴するエピソードとして語り継がれています。