豊臣政権における「正室」と「側室」の間には、現代の感覚では測りきれない絶対的な身分格差が存在していました。正室・ねね(北政所)は、単なる私生活のパートナーではなく、大名領主としての豊臣家を秀吉と共に切り盛りする「公的機関の長」でした。
ねねは織田家の家臣時代、身分の低い足軽組頭であった秀吉に自らの意志で嫁いだ「恋愛結婚」と伝えられています。秀吉が遠征で不在の間、領地の民政、家臣団への知行割り振り、諸大名の妻子たち(人質)の管理と教育など、後方支援の最高責任者として辣腕を振るいました。朝廷から女性として最高位の官位である「従一位」を授かり、朝廷交渉まで担った彼女は、まさに豊臣政権の「共同最高経営責任者(Co-CEO)」だったのです。
秀吉の度重なる浮気癖に対しても、ねねは毅然とした態度を崩しませんでした。それを証明する最も有名な一次史料が、主君・織田信長からねねに宛てられた直筆の手紙です。
安土城を訪れたねねから秀吉の浮気について相談を受けた信長は、書状の中でねねの美貌と品格を「これ以上の女性は天下に二人といない」と絶賛したうえで、次のように秀吉を厳しく断罪しています。
「あのハゲネズミ(秀吉)が、あなたほどの素晴らしい妻を持ちながら他に女を作るなど言語道断。見つけ次第、懲らしめてやるべきである。あなたも正室として堂々と威厳を保ち、嫉妬などせず毅然としていなさい」
信長公認の「天下無双の正室」というお墨付きを得ていたからこそ、秀吉はどれほど権力を握り側室を増やそうとも、生涯ねねに頭が上がらなかったのです。