天守閣とは?城との決定的な違いと「実は住んでいない」歴史の真相

天守閣とは?城との決定的な違いと「実は住んでいない」歴史の真相

天守閣とは?城との決定的な違いと「実は住んでいない」歴史の真相についての最新情報をご紹介します。

天守閣歴史わかりやすく紐解く上で、外すことができない決定的な転換点が、織田信長による安土城天主(1579年完成)の建設です。

それ以前の中世の城における物見櫓は、あくまで実用本位の質素な木造建築でした。しかし信長は、琵琶湖畔の安土山に五層七重・地下1階、高さ約32メートルの前代未聞の巨塔を建造しました。信長はこの建物を「天主」と名付け、外観を朱や青、金箔瓦で華麗に装飾し、最上階には儒教や道教、仏教の思想を反映した絵画を描かせました。これは単なる軍事要塞ではなく、天下布武を掲げる自身の絶対的な権力と世界観を可視化した建築物だったのです。

信長以降、豊臣秀吉の大坂城、徳川家康の江戸城へとこの潮流は受け継がれ、近世城郭の必須要素として各地に巨大な天守が競うように建てられていきました。

天守の建築様式は、歴史の推移とともに大きく2つの型に進化しました。

ひとつは、初期に見られる望楼型(ぼうろうがた)です。入母屋造りの重厚な屋根の上に、独立した物見櫓(望楼)を載せたような複雑な構造をしています。犬山城や姫路城などがこの代表格です。もうひとつは、築城の名手・藤堂高虎らが確立した層塔型(そうとうがた)です。1階から最上階に向かって一定の比率で箱を積み重ねるように逓減していく合理的な構造で、工期の短縮と耐震性の向上が図られました。松江城や江戸城(再建期)などに採用されています。このように、望楼型と層塔型の変遷を見るだけでも、城郭技術が洗練されていく過程を読み取ることができます。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。