1593年、秀吉が57歳という当時としては高齢のときに誕生したのが豊臣秀頼です。それ以前に淀殿が産んだ長男・鶴松はわずか3歳で病死していたため、秀頼の誕生は秀吉にとって狂喜乱舞の出来事でした。
しかし、秀吉には他の側室との間にほとんど子供ができなかったことから、当時から現代に至るまで「秀頼の実父は本当に秀吉なのか?」という疑惑が語り継がれています。密通の相手として名前が挙がったのが、淀殿の乳母の子であり側近の大野治長や、石田三成です。
秀頼は成長すると身長約197cm、体重160kgを超える巨漢の貴公子になったと伝えられており、小柄で猿と渾名された秀吉の体格と大きく異なっていたことも疑惑に拍車をかけました。ただし、淀殿の父・浅井長政も大柄な武将であったため、母方の隔世遺伝である可能性が極めて高いと考えられています。歴史学的には、秀吉自身が秀頼を我が子と確信して溺愛し、後継者として定めた事実こそがすべてです。