事件の一報を受けた東京の首相官邸は激震した。吉田茂首相は直ちに外務省を通じて厳重な抗議を申し入れた。しかし、当時の国際社会には、現代のように海洋秩序を包括的に律する国連海洋法条約(UNCLOS)は存在しなかった。領海3海里の原則が国際慣習法として存在していたものの、新興国が独自の管轄権を主張する「海の囲い込み」が世界的に芽生え始めた混乱期でもあった。
吉田茂は、警察予備隊(後の自衛隊)を創設したばかりの日本が軍事的な対抗措置を取ることを厳しく戒め、徹底した外交的解決を模索した。外務省がワシントンやロンドンへ送った電文には、韓国の国際法違反を国際社会に訴え、調停を引き出そうとする苦悶の跡が残る。だが、朝鮮戦争の最中にあった米国は、反共の防波堤である日韓双方が衝突することを恐れ、曖昧な態度に終始した。