旭豊の土俵人生における最大の転機は、現役引退と名跡継承にありました。1999年2月、元関脇・羽黒山である7代立浪(安念山治)の長女と結婚して婿養子縁組を結び、年寄「立浪」を襲名。伝統ある名門・立浪部屋の8代師匠に就任したのです。
しかし、新風を吹き込もうとする旭豊と、部屋の運営や指導方針に強い影響力を残そうとする先代夫妻との間で激しい路線対立が勃発します。確執は修復不可能なレベルまで悪化し、わずか2年後の2001年に離婚および養子縁組を解消。ここから相撲史に残る泥沼の法廷闘争が幕を開けました。
先代側は「年寄名跡の譲渡対価として1億7500万円の支払い」を求め、さらに「部屋の土地建物の明け渡し」を求めて提訴。角界内部で長年タブー視されてきた年寄名跡の金銭売買の実態が、法廷の場で白日の下にさらされる異例の事態となりました。
約10年におよぶ長い審理の末、2009年に最高裁判所が先代側の上告を棄却し、旭豊側の完全勝訴が確定しました。裁判所は「名跡は無償で譲渡されたものであり、金銭支払いの合意は存在しない」と認定。相撲界の不透明な旧弊を法理によって退け、8代立浪親方は自らの正当性を完全に証明したのです。