秀雄の才能は都市開発にとどまらず、大正から昭和にかけて花開いた大衆娯楽・レジャー産業でも決定的な役割を果たしました。特筆すべきは、阪急グループの創始者・小林一三との盟友関係です。
1932年(昭和7年)、東京に本格的な演劇・映画の殿堂を作るべく「株式会社東京宝塚劇場」(現・東宝)が設立された際、秀雄は創立に深く参画。戦後には東宝の会長職を務め、映画・演劇界の発展を支えました。また、日本初の屋根付き球場への布石となった後楽園スタヂアムの設立にも取締役として関わり、スポーツビジネスの近代化にも寄与しています。
秀雄のビジネス手法は、単なる利潤追求ではなく「大衆の生活に夢と潤いを与える空間プロデュース」でした。鉄道、住宅地、劇場、スタジアムを連動させる複合型都市生活モデルは、2026年代の現在も私鉄各社の都市開発の基本モデルとして受け継がれています。