群馬の県庁所在地はなぜ前橋?高崎との葛藤史と33階絶景の舞台裏

群馬の県庁所在地はなぜ前橋?高崎との葛藤史と33階絶景の舞台裏

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両市の「県庁奪い合い」の歴史は、明治維新直後の混乱期にまで遡る。もともと明治政府が最初に県庁を置いたのは、交通と軍事の要所であった高崎だった。ところが、わずか数年でその拠点は前橋へと移転する。この大波乱の立役者となったのが、初代群馬県令を務めた楫取素彦である。

当時、前橋は生糸の輸出事業で莫大な富を生み出す国際産業都市へと急成長していた。楫取素彦は、製糸業の発展を通じた国家の近代化と、前橋の豪商たちが提示した巨額の県庁誘致資金・土地提供に着目。高崎側の激しい反対を押し切る形で、県庁の移転を決断した。前橋市役所と高崎市役所が現在もそれぞれの街で独自の発言力を保持している背景には、こうした明治初期の熾烈な政治的決断が存在する。行政・社会の枠組みが大きく変わる中で生じたこの事件は、今なお両市市民のアイデンティティに少なからぬ影響を与えている。

吉田 誠
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吉田 誠

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