マルレを運用する部隊は「海上挺進戦隊」と名付けられ、各戦隊は約100名の隊員と艇約30隻、そして後方支援を担う「海上挺進基地大隊」で編成されました。
フィリピン・ルソン島リンガエン湾の激闘
マルレが最も大規模に実戦投入されたのが、1945年1月のフィリピン・ルソン島リンガエン湾の戦いです。同湾に侵攻してきた米軍の大上陸船団に対し、陸軍海上挺進第26〜29戦隊などが出撃しました。
漆黒の海を無灯火で疾走したマルレ隊は、沿岸に停泊していた米軍の上陸支援艇や戦車揚陸艦(LST)、歩兵揚陸艇(LCI)に肉薄攻撃を敢行しました。米軍側の公式戦闘記録によると、複数の揚陸艇が爆破・損傷し、火薬庫の誘爆により沈没した艦艇も確認されています。不意を突かれた米軍に大きな衝撃を与え、水上警戒を大幅に強化させる契機となりました。
しかし、一度発見されると米艦隊の強力な探照灯が一斉に照射され、暗闇の海面は昼間のように照らし出されました。四方八方から降り注ぐ40ミリ機関砲や12.7ミリ重機関銃の集中砲火を浴び、ベニヤ板の船体は粉砕され、出撃した隊員のほとんどが未帰還となりました。
沖縄戦・慶良間諸島における無傷鹵獲の悲劇
1945年3月下旬、沖縄本島への米軍上陸に先立ち、慶良間諸島(渡嘉敷島・座間味島・阿嘉島など)に米軍が奇襲上陸を行いました。これらの島々には、沖縄本島へ突入する米艦隊の側背を突くため、多数のマルレが洞窟陣地に秘匿配備されていました。
しかし、奇襲によって出撃の機会を奪われた部隊は、洞窟内に艇を格納したまま包囲され、攻撃に出られないまま自沈処理を余儀なくされるか、艇を無傷のまま米軍に鹵獲される事態となりました。米軍が撮影した当時のカラー写真や記録映像には、洞窟から引き出された大量のマルレが整然と並べられ、米兵によって検分される姿が克明に残されています。一部の隊員は陸上戦闘へと転じ、小銃を手にして玉砕していきました。