ネット上や大衆文化において、蘆屋道満は「晴明を妬んで悪事を働いた完全な悪人」と解釈されがちですが、この認識には重大な歴史的盲点が存在します。
第一に、平安時代の呪詛は日常的な政治的駆け引きの一環であり、呪詛を行っていたのは道満だけではないという事実です。安倍晴明自身も、時の権力者・藤原道長の政敵を呪詛や祈祷によって排除・牽制する役割を担っていました。道満が悪とされたのは、単に「敗者側のパトロン(藤原顕光)についていたから」に過ぎません。
第二に、道満が使用したとされる「ドーマン(九字護身法を表す格子状の紋様)」の存在です。三重県志摩地方の海女(あま)たちが魔除けとして磯手ぬぐいや道具に記す「セーマン・ドーマン(晴明の五芒星と道満の格子紋)」に見られるように、民間において道満の呪力は強力な厄除け・守護のシンボルとして信仰されてきました。本当に邪悪な存在であれば、過酷な海で命を懸ける海女たちが守り神として身につけるはずがありません。
【プロの結論】中世の勝者史観を読み解き、歴史の多面性に迫る判断基準
歴史とは常に「勝者の記録」です。中央の体制派であった陰陽寮の陰陽師たちが自らの権威を正当化するために記した文献を鵜呑みにすると、道満のような地方の実力者は単なる「邪悪な道化」として切り捨てられてしまいます。
蘆屋道満という人物を正当に評価し、歴史を楽しむための判断基準は以下の通りです。
- 深く楽しむのに向いている視点:「体制(晴明)vs 反体制(道満)」の権力構造や、中央から周縁へ追いやられた土着呪術者の民俗的背景に思いを馳せることができる人。
- 避けるべき短絡的な思い込み:説話やフィクションの描写をそのまま史実と同一視し、「善悪二元論」だけで歴史上の人物をジャッジしてしまうこと。
道満の真の魅力は、完全無欠のスーパーヒーローである晴明にはない、人間の野心、挫折、そして体制に抗い続けたアウトサイダーとしての泥臭さにあります。