麻生太郎氏が日本スポーツ界に残した最大の功績は、選手としての活躍だけに留まりません。1990年代後半から2000年代にかけて主導した「スポーツ振興くじ(toto)」の導入と法制化は、日本のスポーツ環境を一変させました。
当時、日本のスポーツ界は国立競技場の老朽化や各競技団体の深刻な予算不足、マイナースポーツ選手の遠征費自己負担など、構造的な資金難に喘いでいました。欧州の「トトカルチョ」を視察した麻生氏は、民間資金を公的に循環させてスポーツ振興の原資にする仕組みの必要性を痛感。ギャンブル性への懸念から強い反対論が渦巻いた国会において、超党派の「スポーツ振興議員連盟」の幹部として粘り強い根回しと法案作成を牽引しました。
1998年の「スポーツ振興投票法」成立によって誕生したtotoの収益金は、日本各地のグラウンド芝生化、総合型地域スポーツクラブの設立支援、そしてオリンピック・パラリンピック選手の強化費助成へと充当されています。近年の日本選手団による五輪メダルラッシュの背景には、麻生氏が敷いた安定的な財政支援の仕組みが存在しています。
さらに長年にわたり日本クレー射撃協会会長を務め、厳格化する銃刀法規制の中で競技の存続と安全管理の徹底、若手育成のための環境整備に奔走しました。現在もスポーツ界の重鎮として、現場と政治を繋ぐパイプ役を果たしています。