彼が現在のオープンなヴィジュアルに至るまでには、表現活動における明確なステップが存在します。2009年頃、ボーカロイドプロデューサー「ハチ」として『結ンデ開イテ羅刹ト屍』『マトリョシカ』などの歴史的名曲を生み出していた時代、本人の顔写真は一切公開されていませんでした。自作のイラストやアニメーションMVを通じて独自の世界観を提示しており、本人の素顔は完全にベールに包まれていたのです。
本名名義でアルバム『diorama』をリリースし、シンガーソングライターとして表舞台に立った2012年以降も、顔出しに対しては極めて慎重なスタンスを維持していました。初期のアーティスト写真やMVでは、逆光でシルエットのみを映し出したり、深い影で表情をぼかしたりする演出が多用されています。米津自身、過去のインタビューで自身の容姿に対する強いコンプレックスや違和感を抱えていたことを率直に語っており、自分の身体や顔を前面に出すことへの強い葛藤があったことが伺えます。
転機となったのは、メジャーシーンでの確固たる評価と数々の大型タイアップを経た2010年代後半です。ライブ活動を重ねてファンと直接対峙する中で、表現手段として「自分自身の身体・ヴィジュアル」を肯定的に使いこなす覚悟が固まり、徐々にメディア露出やMVでの顔出しが本格化していきました。