鳴門高校の全国舞台における足跡を紐解くと、地方公立校の枠をはるかに超越した驚くべき実績が浮かび上がります。同校が甲子園に初めて姿を現したのは戦前の1938年春のこと。その後、戦後復興期の1950年夏に選手権初出場で準優勝を飾ると、翌1951年春の第23回選抜高等学校野球大会において、悲願の全国制覇(センバツ優勝)を成し遂げました。さらに1952年春にも準優勝を記録し、甲子園で7連勝を刻むなど、徳島県勢黄金期の一翼を担ったのです。
甲子園の通算戦績を公的記録から精査すると、その数字は極めて堅実です。甲子園通算成績は29勝23敗、春夏通算の甲子園出場回数は24回に達します。春の選抜大会では通算23試合で15勝8敗、勝率65.2%という極めて高いアベレージを記録。夏の選手権大会でも27試合で13勝14敗(勝率48.1%)と、百戦錬磨の全国強豪と互角以上の戦いを演じてきました。単に勝利を拾うだけでなく、常に接戦へと持ち込むタフネスこそが、徳島県高校野球における鳴門高校の確固たるステータスを築いています。