縮景園を語る上で避けて通れないのが、1945年8月6日の原爆投下による被災と、その後の復興の物語です。爆心地から約1.3キロメートルに位置していた縮景園は、猛烈な爆風と熱線によって園内の樹木がなぎ倒され、壮麗な木造建築群は瞬時に灰燼に帰しました。
当時、市内中心部で猛火から逃れようとした数多くの被爆者がこの水辺を求めて縮景園へと押し寄せ、園内は臨時の救護所となりました。しかし、手当もままならぬまま多くの命が園内で失われ、戦後は一時、犠牲者の遺骨が埋葬された悲痛な歴史を持ちます。堅牢な構造であった「跨虹橋」のみが奇跡的に崩壊を免れ、惨劇の記憶を今日に伝える生き証人となっています。
終戦後、焦土と化した庭園の復元には途方もない歳月と情熱が注ぎ込まれました。昭和24年(1949年)以降、広島県の手によって大規模な復旧工事が進められ、1970年代にかけて清風館や各茶室が見事に再建されました。破壊と喪失の淵から甦ったその背景には、浅野長晟と上田宗箇の時代から脈々と息づく「乱世にあっても揺るぎない美と調和を求める精神」が存在しています。単なる観光名所ではなく、平和への祈りとレジリエンス(回復力)の象徴としてこの空間が存在している点こそ、縮景園の真の重みです。