サンスクリット語を母語とするインド人僧侶が、古代日本語や漢文の飛び交う平城京でどのようにコミュニケーションを図り、深遠な華厳思想を伝えたのか。その答えは、彼が持ち込んだ圧倒的な音韻学の知識と、五感を駆使した対話姿勢にある。
日本における五十音図の形成過程には、サンスクリット語の音韻体系(悉曇学)が深く影響を与えたとされるが、その萌芽もまたこの時代の文化交流の中に存在する。異言語の壁を恐れず、普遍的な人間愛と仏教的哲学をもって接した彼の姿勢は、言葉の断絶に悩む現代のグローバル社会に痛烈な示唆を与えている。