南極観測船ふじの歴史と現在|なぜ名古屋港に?船内見学の魅力と航海秘話

南極観測船ふじの歴史と現在|なぜ名古屋港に?船内見学の魅力と航海秘話

南極観測船ふじの歴史と現在|なぜ名古屋港に?船内見学の魅力と航海秘話の疑問点について、分かりやすい解説を取りまとめてご紹介します。

「南極観測船ふじ」は、1965(昭和40)年7月に日本初の本格的な砕氷艦として竣工しました。海上自衛隊に所属し、防衛庁(当時)が運用を担当。船体強度の限界から観測休止に追い込まれていた初代「宗谷」の後を継ぎ、日本の第7次南極地域観測隊から第24次隊まで、計18回にわたり過酷な極地航海を完遂しました。

「ふじ」の最大のミッションは、厚さ数メートルにおよぶ極地の海氷を砕いて進み、越冬観測隊員と数千トン規模の物資・大型雪上車、さらには大型輸送ヘリコプター(S-61A)を昭和基地へ送り届けることでした。自艦の質量を氷の上に乗り上げさせて自重で割り進む「チャージング(ラミング砕氷)」を幾度となく繰り返し、氷海を切り拓いた勇姿は、当時のドキュメンタリー番組やニュース映画でも日本中に熱狂を呼びました。

しかし、その航海は常に死と隣り合わせでした。乗組員の手記や当時の特番インタビューによると、暴風圏「吼える40度・狂う50度・叫ぶ60度」と呼ばれる南緯40〜60度付近の荒れ狂う海では、最大傾斜角50度を超える激しい横揺れに見舞われたといいます。「立っていることすら不可能で、食器や機材が飛び交い、全員が極度の船酔いと戦いながら操艦を続けた」という生々しい証言が残されています。

さらに第11次航海(1970年)では、密流氷群に閉じ込められ、右舷側のスクリュープロペラ翼を折損するという絶体絶命の危機に直面。自力脱出が危ぶまれる中、隊員たちの不眠不休の応急処置と卓越した操艦技術によって難局を打開しました。「ふじ」が切り拓いた航路と観測データこそが、現在に至る日本の気象・オーロラ・地圏・生物研究の礎となったのです。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。