1991年、日本人女性として初めて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップに就任した際、周囲の視線は決して甘いものではなかった。しかし、就任直後に勃発した湾岸戦争末期のクルド人難民危機が、彼女の真価を証明することになる。
国境を越えられず自国内にとどまる「国内避難民」は、当時のUNHCRの従来の保護対象外とされていた。だが、彼女は「命を救うことが先決」と一蹴。法解釈の枠を広げ、国連の歴史上初となる国内避難民への直接支援を決断した。防弾チョッキを羽織り、砲火が飛び交う現地へ赴くその姿から、彼女は「防弾チョッキを着る外交官」と称賛され、組織のプレゼンスを国際社会で飛躍的に高めた。