大谷翔平の歴史的な活躍は、確かにスポーツ界の金字塔だ。しかし、メディアがこぞって彼を「国民の誇り」として神格化する構造そのものが、逆説的にアンチを生み出す温床となっている。
かつてダルビッシュ有が牽引し、日本中を熱狂の渦に巻き込んだワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の興奮は記憶に新しい。その舞台裏を描いた映画『憧れを超えた侍たち 世界一への記録』のようなスポーツドキュメンタリーが劇場で異例のヒットを記録した事実が示す通り、刺さる層には熱烈に消費される。だが、その輪に入れない人々にとって、街中やネット上に溢れる「日本人なら応援して当然」という無言の同調圧力は息苦しさ以外の何物でもない。
熱狂が巨大化すればするほど、そこから零れ落ちた人々の疎外感は強固な拒絶へと転化する。ファンが語る「感動の物語」が、非ファンにとっては「押し付けがましいお祭り騒ぎ」にしか見えないという断絶が、ここにある。