九相図に描かれる被写体の大半が、なぜ男性ではなく「若く美しい女性」や「華麗に着飾った吉原の遊女」なのでしょうか。その最大の理由は、「美しさの頂点にある存在が崩れ去る瞬間こそ、人間の煩悩を最も強烈に打ち砕くことができる」と考えられた点にあります。
出家して修行に励む男性僧侶にとって、最大の難敵は女性に対する性的な欲望や思慕の念でした。普通の死体を見るよりも、誰もが見惚れるような花魁や傾城(けいせい)の変わり果てた姿を見る方が、脳裏に焼き付いた美への幻想を瞬時に破壊できます。「あれほど妖艶だった美女も、中身は血と膿と骨の袋に過ぎない」と骨身に染み込ませるための、劇薬のような教育手法だったわけです。
同時に、吉原遊女を取り巻く仏教的な死生観も複雑に絡み合っていました。現世では「苦界」と呼ばれる厳しい環境で春をひさぎ、客に夢を見せる幻影として生きた遊女たち。彼女たちの存在そのものが、江戸の人々にとっては「現世の儚い快楽」の象徴でした。美と欲望の極致にいた遊女を死のプロセスに置くことで、絵を見る庶民にも「浮世の富や快楽に執着しても最後は無に帰す」という強烈な教訓を与えたのです。