決定的な転機となったのは、1992年オフの長嶋茂雄監督就任と、翌1993年シーズンの出来事です。長嶋巨人の第2期がスタートしたこの年、駒田氏は全試合出場を果たしたものの、チーム方針であるバント作戦や右打ちの徹底、さらには外野へのコンバート案など、自らのプライドを揺るがす起用が続きました。
特に象徴的だったのが、チャンスの場面での送りバント指示に対する強い葛藤です。チームバッティングを最優先する長嶋采配と、自らの打力で走者を還したい駒田氏の職人意識は激しく軋みました。そして1993年オフ、新たに導入されたフリーエージェント(FA)制度を行使します。「巨人の生え抜きスターがFAで他球団へ流出する」という球界初の衝撃的な出来事の背景には、フロントの慰留姿勢の薄さや、長嶋監督の下では自分の居場所が失われるという強い危機感がありました。