兜太の表現活動を私生活で支え続けたのが、妻・皆子の存在でした。皆子夫人もまた優れた俳人であり、日銀勤務と句作、全国を飛び回る多忙な兜太を温かく支え、互いの文学的才能を認め合う無二のパートナーでした。晩年、皆子夫人を看取った際に兜太が残した哀傷句には、生涯を共にした者だけが到達できる深い情愛が満ち溢れています。
また、兜太のアイデンティティの根幹には、父・伊昔紅(金子元春・医師で俳人)から受け継いだ埼玉県秩父の風土がありました。現在、皆野町をはじめとする秩父各地には多数の句碑が建立されており、全国の俳句ファンや文学愛好家が訪れる聖地巡礼ルートとして親しまれています。武甲山を仰ぎ見る秩父の山河こそが、兜太の生命力(アニミズム)の揺るぎない母胎でした。