本作が単なる医療フィクションや悲劇を超えて読者の胸を打ち続ける理由は、「知性(IQ)と感情・愛(EQ)の相克」という、人類にとって根源的な問いを突きつけている点にあります。
知能を得る前のチャーリーは、他人の悪意を理解できず、からかわれても「自分は友達に好かれている」と信じて無邪気に笑っていました。客観的には悲惨な境遇でありながら、主観的な幸福度は高かったと言えます。しかし、知性を得たことで世界を正しく認識できるようになった途端、周囲の偽善、差別、そして自分に向けられていた嘲笑の記憶に苛まれることになります。知性はチャーリーに世界の真理を教えた一方で、彼から安らかな幸福と人との温かなつながりを奪い去ってしまったのです。
作中で天才となったチャーリーが放つ以下の名言は、現代の成果主義・合理化社会にも痛烈に突き刺さります。
「愛や思いやりを欠いた知能は、人間的な破滅をもたらす。知能そのものは、人間にとって何の意味も持たないのだ。」
また、本作の根底には「親子の承認欲求とトラウマ」という心理学的な構造が横たわっています。チャーリーが異常なまでに「頭が良くなりたい」と願った根本動機は、かつて母親が自分を拒絶し、妹を偏愛して自分を家から追い出した過去にありました。「賢くなれば、お母さんは僕を愛してくれるはずだ」という切実な想いが、彼を手術へと駆り立てていたのです。知能の頂点に達したチャーリーが老いた母親と再会する場面の悲痛な対峙は、親の身勝手な期待と子の無条件の愛の断絶を見事に描き切っています。
タイトルの『アルジャーノンに花束を』が持つ象徴性も極めて多層的です。アルジャーノンは単なる実験動物ではなく、チャーリーにとって「自身の運命の先行者」であり「唯一の魂の理解者」でした。彼に花束を供えてほしいという最後の頼みは、実験の犠牲となった小さな命への哀悼であると同時に、知性を失って社会から忘れ去られていく自分自身への慈悲を願う、静かで気高い叫びだったのです。