教科書の定番教材であるため、定期テストや大学入試では一文一文の正確な読解力が問われます。ここでは特に頻出する2大クライマックス場面を取り上げ、実践的な木曾の最期 現代語訳と木曾の最期 品詞分解のポイントを対照形式で整理します。
名場面1:巴御前との別れ(原文と現代語訳)
【原文】
木曾殿、巴にのたまひけるは、「おのれはとうとう、女なれば、いづちへも行け。我は討死せんとて、討たるべき証拠もなし。また、『木曾殿の最後の戦に、女を具せられたりけり』なんど言はれんことも、口惜しかるべし」とのたまひけれども、なほ落ちも行かざりけり。あまりに言はれ奉りて、巴、「あっぱれ、よからう敵がな。最後の軍して見せ奉らん」とて、控へたるところへ、武蔵の国に名高き剛の者、御田八郎師重、三十騎ばかりで出で来たり。
【現代語訳】
木曾殿が巴におっしゃったことには、「お前は早く早く、女であるのだから、どこへでも逃げて行け。私は討死しようとするが、討死しなければならない義理(証拠)もない。また、『木曾殿は最期の合戦に、女を連れておられた』などと後世に言われるようなことも、無念なことに違いない」とおっしゃったけれども、巴はやはり落ち延びて行こうとしなかった。あまりにも重ねて言われ申し上げなさったので、巴は、「ああ、立派な敵が現れないものか。(義仲様に)最後の戦いをお見せ申し上げよう」と思って馬を控えているところへ、武蔵国で名高い剛勇の士である御田八郎師重が、三十騎ほどで現れた。
この場面における木曾の最期 品詞分解の重要識別ポイントは、「具せられたりけり」の「られ(尊敬の助動詞「らる」連用形)」や、「言はれん」の「れ(受身の助動詞「る」未然形)」「ん(婉曲・推量の助動詞「む」連体形)」の区別です。主語が義仲か世間の人々かによって助動詞の意味が反転するため、テストでは記述問題の定番となっています。
名場面2:義仲の討死と兼平の自害(原文と現代語訳)
【原文】
木曾殿ただ一騎、粟津の松原へ駆け入り給ふが、正月二十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷は張ったりけり、深田ありとは知ろし召さずして、馬をざっと打ち入れられたりければ、馬の頭も見えぬほどに引き入れられたり。轡をかき切ってあふれども、さらに働かず。兼平が討たれぬかと心にかかり給へば、後ろをふり仰ぎ給へる内甲を、三浦の石田次郎為久、追ッ懸け追ッ懸け、よッ引いて、ひゃうふっと射る。痛手なれば、馬の首にうつぶし給へるところを、石田次郎、落ち重なって、つひにその首をば取ってんげり。
【現代語訳】
木曾殿はただ一騎で粟津の松原へ馬を駆け入れなさったが、正月二十一日の日の暮れ方のことであるので、薄氷が張っていた。深い泥田があるとはお気づきにならず、馬をさっと乗り入れなさったところ、馬の頭も見えないほどに深く沈み込んでしまわれた。手綱を強く引いて馬をあおるけれども、まったく動かない。兼平が討たれはしないかと気にお掛かりになりなさったので、後ろを振り返り仰ぎ見なさった兜の内側の額を、三浦の石田次郎為久が、追いかけ追いかけ、弓を十分に引き絞って、ひょうふっと射る。重傷であるため、義仲様が馬の首にうつ伏せになりなさったところを、石田次郎が上から重なり落ちて、とうとうその首を取ってしまった。
ここで重要な木曾の最期 古文単語 意味としては、「入相(日暮れ時)」「あふる(馬の腹を蹴って進ませようとする)」「内甲(兜の内側、無防備な顔面部分)」が挙げられます。特に「取ってんげり」の「てん(完了「つ」+過去「き」の融合・連用形)」+「げり(過去「けり」)」の複合助動詞は、「とうとう取ってしまったのだった」という取り返しのつかない悲壮感を決定づける表現です。