貧困のプレッシャーに加え、幼少期の平野家を襲った最大の試練が平野紫耀の幼少期の病気です。彼は幼い頃、全身の血管に急性の炎症が起こる原因不明の小児難病である「川崎病」を発症しました。
川崎病は、治療が遅れると冠動脈瘤などの重篤な心臓合併症を引き起こす危険性があります。平野紫耀の川崎病と手術に関する当時の医療関係者や本人の回想によると、一時期は激しい運動を厳しく制限され、安静を強いられる闘病生活を余儀なくされました。幼心に「なぜ自分だけ自由に走ったり遊んだりできないのか」という悔しさを抱えながら、母親の手厚い看病と適切な医療処置によって無事に危機を脱することができたのです。現在見せている爆発的なエネルギーは、この大病を乗り越えた強靭な生命力に裏打ちされています。
病気を克服した後の平野少年は、制限から解放された反動のように規格外のやんちゃぶりを発揮し始めます。平野紫耀の子供の頃の骨折・怪我に関する逸話は、もはやファンの間では伝説と化しています。
「傘を開いて2階から飛び降りたら骨折した」「電柱にぶつかって怪我をした」など、身体能力が高すぎるあまり危険を恐れずに挑戦し、小学生時代までに経験した骨折は実に通算7〜8回にものぼります。病院に運ばれるたびに母親に叱られながらも、痛みを恐れず限界へ挑み続けた経験が、後のアクロバットやダイナミックなダンス表現の恐怖心を払拭する土台となりました。