ジョージ・クラムは自らの調理法について特許を申請しませんでした。当時は調理プロセスの特許化が一般的でなかったことに加え、彼自身が地域密着のレストラン経営に満足していたためと考えられています。
特許で縛られなかった結果、サラトガ・チップスのレシピは全米各地のレストランや食品業者へと瞬く間に模倣・拡散されていきました。
やがて20世紀に入ると、密閉可能なワックスペーパー袋の発明や大量生産を可能にする自動フライヤーの開発が進み、レストランの高級メニューだったチップスは「いつでもどこでも買える袋入りスナック」へと変貌を遂げます。1920年代から1930年代にかけて、ハーマン・レイ(後のフリトレー創業者)らの手によって流通網が整備され、アメリカを代表する巨大産業へと成長していきました。