日本で「碁盤の目の街」の代名詞といえば、794年に桓武天皇によって遷都された平安京(現在の京都)です。京都の街がこれほど整然と区画された最大の理由は、当時の東アジアにおける超大国・唐の首都であった「長安城(ちょうあんじょう)」を模範とした都づくりにあります。
平安京の都市計画は、古代中国から導入された「条坊制(じょうぼうせい)」という厳格な都市区画制度に基づいています。南北を貫くメインストリート「朱雀大路(すざくおおじ・幅約84メートル)」を中心に据え、東側を「左京」、西側を「右京」と区分。東西に走る大路を「一条、二条、三条…」と番号で呼び、南北の通りと直交させることで、徹底したシンメトリー(左右対称)の都市を建設しました。
この条坊制が採用された背景には、主に3つの目的がありました。
- 天皇の権威誇示:整然とした巨大都市を築くことで、国内外に律令国家の圧倒的な統率力を示す。
- 治安維持と防衛:直線的な道路は反乱軍や外敵の動向を監視しやすく、兵の移動や封鎖を迅速に行える。
- 厳格な階層管理:大内裏(御所)に近い北側や大通り沿いに高位の貴族を配置し、身分に応じた居住区を整然と割り振る。
なお、似た用語に「条里制(じょうりせい)」がありますが、条坊制が「都市(都城)の区画」を指すのに対し、条里制は「農地(水田)の区画整理制度」を指します。どちらも古代日本の高度な測量技術を示すものですが、その対象空間には明確な違いがあります。