順風満帆に見えたキャリアは、母親の病と介護という厳しい現実に直面することで一変した。2000年代半ば、母親の車椅子生活や認知症状の進行に伴い、彼女は芸能活動を休止・縮小せざるを得なくなる。当時の日本芸能界において、第一線で活躍するタレントが長期の介護休業を取るインフラやサポート体制は皆無に等しかった。フリーランス同様の過酷な環境の中で、「介護離職」という言葉が一般化する以前から、彼女は個人的な責任として全てを引き受けたのだった。
この悲劇は、急速に高齢化が進む日本社会における高齢者介護問題の構造的な欠陥を白日の下に晒した。公的支援制度へのアクセス不足、世間の目を気にするあまり外部の助けを拒んでしまう心理的孤立。恩師である萩本欽一をはじめ、周囲の仲間たちが差し伸べようとした手すら拒み、一人で抱え込んでしまった背景には、責任感の強すぎる人間ほど陥りやすい社会的な罠が存在していた。