日本の外国人労働者問題がここまで深刻化した背景には、建前と本音を使い分けてきた歴代の外国人労働者政策の歴史的矛盾があります。1993年に創設された「技能実習制度」は、表向きは「開発途上国への技術移転による国際貢献」を掲げていましたが、実際には国内の深刻な人手不足業界における安価な労働力調整弁として使われてきました。
現場取材や当事者の手記からは、過酷な実態が浮かび上がります。母国で巨額の渡航手数料や保証金を借金として背負わされた実習生が、最低賃金すれすれの報酬や過密な残業、パスポートの取り上げといった理不尽な拘束に苦しむケースは後を絶ちませんでした。原則として「転籍(職場を変える権利)」が認められていなかったことが、劣悪な雇用主への隷属を生み、暴力やパワハラなどの深刻な人権侵害を引き起こす構造的トリガーとなっていたのです。
「逃げ場のない環境で耐え続けるか、すべてを捨てて逃げ出すか」という極限の二者択一を迫られた結果、年間数千人規模の失踪・不法滞在が発生しました。この事態は米国国務省の「人身取引報告書」などでも長年にわたり厳しい勧告を受け続け、日本の国際的信用を大きく傷つける要因となってきました。